願いを告げなかった男と、告げられていた神

願いを告げなかった男と、告げられていた神

元旦の朝は、音が少ない。
人は多いはずなのに、境内の空気は硬く、冷たい。
吐く息が白くほどけるたびに、胸の奥だけが妙に熱を帯びていた。


参道には人が溢れている。
笑い声、鈴の音、柏手。
新年特有の明るさが、そこかしこに散らばっているのに、俺はその輪の中に入れない。
少し離れた場所から、祭りを眺める人間のままだ。


理由は分かっている。


――俺は、格闘をしている。
そして、負けることを欲しがっている。


ただの敗北じゃない。
言い訳も、偶然も、運も残らない負け。
努力も根性も出し切った先で、なお越えられない差を、はっきりと突きつけられる負けだ。


「祈祷の方はこちらです」


案内に従って祈祷殿へ上がる。
板の冷たさが足裏から伝わり、背筋が勝手に伸びた。
太鼓が鳴り、祝詞が流れ、白い紙垂が揺れる。


ここは、本来“まともな願い”の場所だ。
家内安全、商売繁盛、厄除け。
誰かの幸福が、きれいな形で並べられる場所。


――でも、俺の願いは違う。


目を閉じる。
口に出せば、取り消せなくなる。
だから、心の中だけで形にする。


(強い美女と、本気で格闘勝負がしたい)


胸が締めつけられる。
続く言葉が、自分でも信じられないほど自然に浮かぶ。


(俺も本気で挑む。手加減はいらない)
(それでも敵わなくて――)


一瞬のためらい。
それでも、願いは止まらなかった。


(勝てるまで、何度でも繰り返される地獄が見たい)


胸の奥が、すっと冷える。
後悔ではない。
むしろ、ようやく正直になれた感覚だった。


その瞬間、鈴の音が近くで鳴った。


祈祷殿の空気が、薄くなる。
人の気配が遠のき、世界が一段、静まる。


視界の端で、白いものが揺れた。


雪でも、装束でもない。
光そのもののような白。


そこに、ひとりの女性が立っていた。


背が高く、姿勢が整っている。
整いすぎた顔立ちなのに、作り物めいていない。
大きな瞳がこちらを捉え、微塵も揺れない。


――神々しい、という言葉が現実になる。


彼女は微笑んだ。
慈愛と、逃げ道を許さない確かさが同居した笑みで。


「……叶えに来たよ」



声は聞こえなかった。
意味だけが、直接胸に落ちる。


「本気で、って願ったよね」
「勝てるまで、って」


俺は何も言えなかった。
彼女の目が一瞬だけ細くなり、その奥で、獣のような光が走る。


「大丈夫」
「あなたの地獄、ちゃんと丁寧に叶えるから」

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