

起き上がっても終わらない場所
足元が軽くなった。
次の瞬間、俺は硬いマットの上に立っていた。
体育館でもジムでもない。
だが、身体が即座に理解する。
――ここは、勝負の場所だ。
照明は白く、影が少ない。
壁は見えない。
歩こうとすると距離だけが曖昧に歪み、出られないことが感覚で分かる。
背後から、声。
「ようこそ」
振り返る必要はなかった。
彼女だ。
神前で見た姿より、輪郭がはっきりしている。
ここでは神ではなく、競技者として立っている。
黒のスポーツブラ。
ショートレギンス。
グローブをはめ、髪は邪魔にならないようまとめられている。
完璧な準備。
彼女は礼をした。
試合の礼だ。
「観客も、時間も、言い訳もない」
「あなたと、私だけ」
喉が鳴る。
「……戻せ」
反射的に言った。
彼女は首をかしげる。
「どこに?」
「あなたが望んだのは、逃げ道込みの現実じゃないでしょ」
胸に刺さる。
心の中だけで言った願いが、そのまま言葉になる。
「だから、私も本気でいくね」
光が一瞬、彼女の輪郭をなぞる。
神事の気配が消え、純粋な“勝負”だけが残る。
「遠慮はいらない」
「あなたが折れるところ、ちゃんと見たいから」
俺は構えた。
経験はある。
距離、角度、タイミング。
いつもの組み立て。
踏み込む。
――しかし。
最初の接触で分かる。
速さでも、力でもない。
間合いの支配が、完全に彼女のものだ。
組み付いた瞬間、視界が揺れる。
脚が絡む。
逃げようとした腕が封じられる。
息はできる。
苦しくはない。
なのに、判断が遅れる。
「ほら」
「起き上がっても、終わらないって言ったでしょ」
太ももが締まる。
力ではない。
構造そのものが、俺を閉じ込める。
世界が、静かに遠のく。
――ここは地獄だ。
だが、俺が望んだ地獄だ。
彼女の声が、最後に届く。
「次も、いくよ」
「勝てるまで」
意識が途切れる直前、
俺はようやく理解した。
これは敗北じゃない。
儀式だ。