


王都城内・訓練場――
夕暮れの金色の光が、砂の敷き詰められた闘技の広場を照らしていた。城壁の陰には見物の衛兵や侍女たちの姿がちらほらと見える。だが今、この空間に集中しているのは、ただ二人。
一人は王国最強と謳われる女剣士――イリーナ・ゼルガ。
そしてもう一人はこの国の王子、ルカ・リオンハルト。
「本気で来なさい。あなたが望んだ勝負でしょう?」
イリーナは細剣を片手に取り、涼やかに言い放った。鍛え抜かれた体躯に、革の軽鎧。動きのために無駄を削ぎ落とした装備で、視線には一切の甘さがない。
対するルカは、正装ではなく訓練用の布鎧と金属の籠手を身につけていた。剣は標準的なロングソード。まだ若さが残る顔には、だが気迫があった。
「……わかってる。イリーナ、お前は俺の先生であり、最強の戦士だ。だからこそ、今日だけは全力で――挑む!」
言葉と共に、ルカが地を蹴った。
踏み込みが早い。まだ粗さはあるが、勢いに迷いはなかった。真正面から斬りかかる。だが――
「甘いわね」
イリーナは軽く身をそらし、細剣の鍔でルカの剣を払う。打撃音が金属を震わせ、ルカの腕に鈍い衝撃が走った。
すかさず、イリーナが間合いを詰める。突き、斬り払い、蹴り。まるで舞うような剣さばきが、王子の周囲を制圧していく。
ルカは必死に受ける。だが数手のうちに、彼の肩をかすめた刃が布を裂き、薄く血がにじんだ。
「本気で来ているようには見えないわ。剣を持つということは、相手を傷つける覚悟を持つということ。あなたには、それがまだ足りない」
「……ッ!」
ルカは息を整えると、剣を両手に持ち直した。目の色が変わる。彼の中で何かが切り替わったのを、イリーナは確かに感じ取った。
「行くぞ!」
今度は先ほどより鋭い踏み込み。斜め下からの斬り上げ。イリーナはそれを見事に受け流すが、ルカは続けて回転し、剣を逆方向へ振り直した。
「――やるじゃない」
彼女の頬にかすかに汗が光る。だが表情は崩れない。
イリーナは地を蹴り、ルカの背後へ素早く回り込む。その動きは常人の目には霞のようだ。
「速っ……!」
間一髪で振り返って剣を受け止めたルカ。だが受けただけでは終わらない。彼は剣を引きつつ、体重を乗せて押し返す。互いの剣がぶつかり、火花を散らす。
ガンッ!
音と同時に、二人は力比べの状態に入る。
男の腕力に女の鍛錬された筋力が拮抗する。
「王子様、力は成長したわね。でも――」
イリーナは片足を踏み込ませ、さらに力を増した。
「経験が違うのよ!」
剣が弾かれ、ルカの体勢が崩れる。イリーナは即座に蹴りを放ち、王子を地面に倒した。
息を切らし、砂に手をつくルカ。だが、その目にはまだ光があった。
「……まだ、終わってない」
彼はすぐに立ち上がる。泥を払い、剣を構えるその姿に、イリーナの瞳が細められる。
「なら、まだ付き合ってあげる。貴族の遊びではないということ……叩き込んであげる」
再び、剣が交錯する。
イリーナの剣筋は、王国騎士団すら及ばない精密さを持つ。軽やかで鋭い。対するルカの剣は、若さと気迫の塊だ。確かにまだ洗練されてはいない。だが、そこには迷いのない意志がある。
五十合。百合。
技の応酬が繰り返されるたびに、見物の衛兵たちは言葉を呑んだ。
「こ、これほどまでに……王子が!」
「いや、あの女将軍はやはり別格だ……あの動きは、人間離れしている……」
だがルカは止まらない。刃が擦れ合い、汗が飛び散り、呼吸が荒れる。
ふと、イリーナが剣を引いた。
「ここで終わりにしましょう。あなたの剣、私が見たかったものになっていた」
「えっ……?」
「今日のあなたは、本当に“剣士”だったわ。私は嬉しい」
イリーナは穏やかに微笑んで、剣を下ろした。
ルカも、ようやく剣を地面に突き立て、膝をつく。身体の奥底から疲労が押し寄せる。
「……ありがとう、イリーナ。君のおかげだ」
「礼なんていらないわ。私はあなたの師。そして……あなたを守る剣」
イリーナは王子の額から落ちる汗を、そっと自らの手で拭った。
二人の間に流れる空気は、戦いを超えた、確かな信頼と絆に満ちていた。