■イリーナ vs ルカ ― 素手編

■イリーナ vs ルカ ― 素手編



剣を交えた戦いの翌日――


王城地下にある秘密の訓練室。王族と直属近衛兵のみが使用を許されたこの場で、再び二人は向かい合っていた。


「……剣を置いての戦い。受けてくれるのね?」


イリーナは黒の柔術衣に身を包み、帯もきちんと締めている。無駄な装飾は一切ない。戦士としての本質が露わになった姿だった。


ルカも同様に、白い道着姿。まだ幼さの残る体つきだが、細身の中に意志が宿っていた。


「イリーナ、昨日は君に剣では敵わなかった。でも――柔術、体術なら、少しは……」


「勝てるとでも?」


微笑みながらも、その声音には鋼のような芯があった。イリーナは裸足でゆっくりと床を踏み、間合いを詰めてくる。


「じゃあ、来なさい。躊躇いが命取りよ、ルカ様」


先手を取ったのはルカだった。低く姿勢を取り、右足を踏み出してイリーナの懐へ飛び込む。彼は剣術よりも、寝技や関節技を好んで鍛えていた。まずは腰を取り、後方へ倒すつもりだった。


だが――


「読めてる!」


イリーナはルカの肩を逆に取って体を回し、自らの腰を支点に彼を宙へ放った。


ズドンッ!


「ぐっ……!」


訓練用の厚い床に背中を打ちつける音が響いた。だがルカは苦悶に顔をゆがめながらも、即座に体を反転し、跳ね起きる。


「ふふ、なかなかの受け身ね。でも――」


その瞬間、イリーナの右足がルカの膝を蹴り抜いた。彼の体勢がぐらついた隙を逃さず、彼女は間髪入れずに体を密着させ、内股でルカの体を崩す。


再び、床に叩きつけられる王子。


「うああっ!」


「王子様、あなたの体術、見所はあるけれど、まだ甘い」


イリーナはすぐにマウントポジションを取り、ルカの両手を上から押さえ込む。地面に張り付いたその姿は、まるで猛獣に捕らえられた獲物のようだった。


「くっ……!」


王子は抵抗しようとする。だが、イリーナの腕の筋肉は見た目以上に強靭だ。彼女は笑みすら浮かべながら、確実に彼の自由を奪っていく。


「もう一度立ち上がってみせなさい。あなたの意地、私に見せて」


わずかに隙を与え、彼女は体を離した。ルカは咳き込みながらも膝をつき、再び立ち上がる。


「はあ、はあ……負けない……絶対に……!」


「ええ、それでいい。男として、それでこそ王子として、あなたはもっと強くなれる」


イリーナは再び構える。今度は重心を低くして、寝技への誘導に備えた体勢。ルカはその意図を読み、今度は無理に突っ込まず、じわじわと間合いを測る。


二人は静かに向かい合い、そして、再びぶつかった。


ルカは今度、背中を取る動きを意識した。回り込むように動きながら、タイミングを見てイリーナの背後に腕を伸ばす。


「……よし!」


背中を取り、背負い投げを狙ったルカ。だがイリーナはそれすら誘いと見切っていた。


「甘いのよ!」


瞬間、彼女は脚を交差させ、体を捻ってルカの動きを利用するようにカウンターを決めた。再び地面に落ちる衝撃が、訓練室に響く。


そして、そのまま逆に首を抱え込むようにして、関節を極める。肘を折られる直前、ルカは慌てて床を叩いた。


「タップ! タップだッ!」


イリーナは即座に技を解いた。


「ふう……危なかったわね。でも、判断は悪くなかった」


「……やっぱり、強すぎるよ、イリーナ」


床に仰向けに寝転ぶルカに、イリーナがゆっくりと寄り添う。


「でも、少しずつあなたは強くなっている。昨日より今日、今日より明日。あなたがそうして努力を続ける限り――私は、あなたの一番近くで見守っている」


イリーナはルカの頬に手を当て、優しく撫でた。


「……君は、俺にとってただの護衛じゃない。師でも、女戦士でもない。イリーナという、“かけがえのない人”なんだ」


ルカのその言葉に、イリーナの頬が紅に染まる。


訓練室の静寂に、二人の呼吸だけが響いていた。