

男子と女子。
リングの上では体格差がすべてを決める――そう思っていた若手男子レスラーがいた。
その日は練習場での通常スパーリング。相手は、自分より小柄な女子レスラーだった。
彼は軽く合わせるつもりだった。だが、スパーが始まって30秒、予想もしなかった強烈な張り手が顔面をかすめ、視界が一瞬、揺れた。
「女子プロと練習してるんじゃない。“本物のプロ”と向き合ってるんだ」。
そのとき初めて、彼はリングの空気が変わったことに気づいたという。
女子プロレスの世界には、今なお語り継がれる実話がある。
中でも、里村明衣子や志田光のようなトップクラスの女子レスラーたちが、練習で男子選手を容赦なく叩き伏せていたという証言は数多い。
それはエンターテインメントの枠を超えた“格闘者”としての真実だった。
たとえば、仙台女子プロレスの創設者でもあり、90年代から第一線で闘ってきた里村明衣子。彼女は若手時代から「男子レスラーの中で練習してこそ強くなれる」と公言し、所属団体問わずスパーを志願していたという。
当時の男子新人レスラーの証言。
「明衣子さんは、身体は小さいのに、ミドルキックの重さが段違いだった」
「押さえ込みに入られたとき、もがいても全然抜けられなかった。体重が重いとかじゃなく、重心の置き方が“職人”だった」
別のケースでは、練習中にスパーをしていた志田光が、男子レスラーのロープワークを読んでドロップキックを合わせ、その勢いで男性が場外に転落、肩を痛めたという話もある。
本気の練習では、女子であろうと手加減はしない。むしろ、自分の技が男子にも通用するかを確認するために、あえて強い相手を選ぶ。
そうした姿勢が、女子レスラーの本質を作ってきた。
多くのプロレス団体では、デビュー前後の若手が合同練習で“男女問わず”組まされることがある。そこには「女に負けるな」というような安易な上下感覚は存在しない。
あるのは、技術を持つ者が勝つという一点のみ。
元全日本プロレス練習生の男性が語る。
「自分が新人だった頃、志田光さんと組んだ。体格差ではこちらが上のはずだったけど、チョップ一発で距離を詰められて、バック取られて、そのままジャーマン。受け身取れなかった」
「練習終わってから1週間、首が痛かった」
もちろん、これは「女子が男子を倒す爽快劇」という単純な構図ではない。
むしろ、“技術の精度がある女子選手”と、“まだ未熟な男子選手”との間においては、スパーリングにおいて女子が優位になることが現実としてある、ということを意味している。
トップ女子レスラーたちは、見た目こそ華やかだが、その内側は鍛錬に満ちている。
その日常には、サンドバッグ、受け身、スクワット、ロープ走り、マット運動、さらには男子選手との本気のスパーまでが含まれる。
里村明衣子はこう語っている。
「女子プロレスが本物だと信じさせるには、男子とやっても通用するという背中を見せるしかない。
観客は、目の前の“強さ”を見ている。性別じゃない」
この姿勢は後輩たちに受け継がれ、センダイガールズのレスラーたちは今でも、男子選手と日常的に練習を積んでいる。
2020年代に入り、SNSなどで練習風景の一部が動画として公開されるようになると、「女子選手の動きの鋭さ」に驚くコメントが世界中から寄せられるようになった。
現場のリアルとは、「女にやられる」ことが恥ではないということだ。
やられた理由が、女子であることではなく、“技術が足りなかった”ことだと受け止めるのが、プロレスの現場であり、スポーツの現実である。
体格差を超える瞬間が、プロレスにはある。
その一例として、女子レスラーが男子をスパーで圧倒するというエピソードは、今日も受け継がれている。
【出典・参考】
『Number』誌「女子プロの裏側特集号」(2009年)
志田光インタビュー(YouTube公式チャンネル / AEW移籍時)
仙女・里村明衣子選手 公開練習映像(2021年 SENJO公式)
現役選手X(旧Twitter)投稿:「女子レスラーとの練習で投げられた話」
『プロレス取材ノート』:記者・三田佐保による現場証言集より