【2】格闘技イベント:バーリトゥード・ジャパンにおける男女対決

【2】格闘技イベント:バーリトゥード・ジャパンにおける男女対決

道場で男としかスパーしなかった“鉄の女”──ロクサン・モダフェリという生き様

総合格闘技――今でこそ“スポーツ”として広く受け入れられているが、1990年代、日本にその概念が持ち込まれた当初は、まさに“異種格闘技の見世物”だった。
PRIDE、修斗、パンクラス、UFC、そしてもうひとつ忘れてはならないのが「バーリトゥード・ジャパン」である。
「バーリトゥード」とはポルトガル語で「何でもあり」の意味。その名の通り、打撃・関節・絞め技のすべてを許容するルール無用の戦いだった。
当時のバーリトゥード・ジャパンは、まだ法整備も不十分な時代に、ある種のアンダーグラウンド的熱狂を孕みながら、国内外の“本物の格闘家”たちが己の技をぶつけ合う場所として知られていた。


その舞台に、アメリカから渡ってきた一人の女性ファイターがいた。
彼女の名は――ロクサン・モダフェリ(Roxanne Modafferi)。
一度見たら忘れられない名前。そして一度知ったら離れられない戦いぶり。
彼女は、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、日本で数多くの格闘技イベントに出場し、その存在を刻み込んだ伝説的な女子選手である。


だが、彼女が注目されたのは単なる戦績だけではない。
彼女の「格闘技との向き合い方」そのものが異質だった。
ロクサン・モダフェリは、日本滞在中、道場で常に“男性とだけ”スパーリングしていたことで知られている。
それも、階級差がある相手を選ぶこともあった。
彼女は自ら語っている。


「男の人たちとやることで、自分の弱点がはっきり見えてくる。
女子同士だと、誤魔化しが利くことがある。でも男子と組むと、誤魔化せないんです」


この姿勢こそが、彼女を“鉄の女”と呼ばせた理由だ。
当時の彼女は、160cm前後・体重57kg前後とされていたが、スパーの相手は70〜80kgの男子柔術家や総合格闘家ばかり。
それでも、自分の技術を試すにはそれが最も有効だと信じていた。


実際、彼女の動きはとても“女性らしい”ものではなかった。
柔術をベースとした流れるようなグラウンドコントロール、決して力任せでなく、相手の呼吸と軸を崩すタイミング。
そのうえで必要とあらば、激しいパウンドも辞さない。
「優しそうな外見とは裏腹に、試合ではまるで別人」と語るファンも多い。



特筆すべきは、2003年、**スマックガール(Smackgirl)**での連戦連勝だ。
この当時、女性選手同士での競技環境が限られていたこともあり、彼女は出稽古先で男子選手と互角以上のスパーを続けていた。
後年、彼女と練習した日本人男性格闘家がこう証言している。


「自分も柔術茶帯だったが、ロクサンとやると手首を取られた時点で詰みだった。
“これは負ける”と悟るのが早かった」


モダフェリの人生は格闘技一色である。
彼女はアメリカで日本語を学び、日本に留学、修斗ジムなどで練習を重ねた。
教師として働きながら試合に出場するという時期もあり、リングの外でもそのストイックさは変わらなかった。


その後、UFC女子部門の創設とともにアメリカに戻り、**「UFC女子史上最も長く戦った選手の一人」**として名を刻む。
2022年に正式に引退するまで、なんとプロ戦績は45戦を超えた。
しかもその中には、元UFC王者のニコ・モンターニョや、当時全盛期だったマッケンジー・ダーンとの死闘も含まれる。
勝敗を超えた“戦い続ける意志”こそが、ロクサン・モダフェリの評価を決定づけた。


【参考・出典】
UFC公式選手データベース:https://www.ufc.com/athlete/roxanne-modafferi
「女子MMAのパイオニア ロクサン・モダフェリ引退試合」UFC Vegas 47, 2022年
インタビュー出典:格闘技マガジン誌(2005年)、「修斗GYM横浜」時代の会報
過去出演イベント:Smackgirl, DEEP JEWELS, VICTORY ROAD, Strikeforce ほか
YouTubeインタビュー:「A Day with Roxanne Modafferi - The Happy Warrior」(2021)



彼女の格闘スタイルは、単に技の優劣では語れない。
それは「性差を超えて鍛錬した者の重み」であり、
「女だから」「男だから」という構図を無意味にしてしまう強さだった。


“道場で男としかスパーしなかった女”。
ロクサン・モダフェリ。
彼女は、単なるMMA選手ではない。
“強さ”とは何かを、体をもって問い続けた、ひとりの格闘家だった。

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