

1930年代から1950年代にかけてのアメリカ。大恐慌と第二次世界大戦という激動の時代にあって、多くの人々にとって「カーニバル」は娯楽であり、現実からの一時的な逃避でもあった。移動式遊園地、サーカス、見世物小屋……そのなかに存在していた「格闘イベント」は、当時の男たちの自尊心と女たちの実力がぶつかり合う、きわめて特殊な空間だった。特に注目されるのが、「女子レスラーによる挑戦イベント」の存在だ。アナウンスはこうだ――「男たちよ、強い女に勝てば10ドルの賞金! 負ければリングの上で笑い者!」。これは単なるパフォーマンスではなかった。実際に客の男たちがリングに上がり、本気で女レスラーと闘い、ほとんどのケースで敗北するという“逆転劇”が、各地の巡業で実演されていたのである。
主に南部や中西部を巡ったカーニバルでは、こうした格闘見世物のコーナーが用意されていた。「Wrestle the Lady!(この女と闘え!)」と看板が掲げられ、観客の男たちが酔いに任せてリングに上がる。一見すれば“女性レスラー”は小柄な体格で、ドレスやタンクトップ姿。だがその中身は、プロレスラーや柔道経験者、時には実際に軍隊出身の訓練者であったことも判明している。彼女たちは観客相手とはいえ決して手を抜かず、ロックアップからのボディスラム、スープレックス、腕固めなどを仕掛け、場外へ放り出すことさえあったという。
記録によれば、この種のイベントに参加した女性たちは「女性版バーナード・マッギン」「ザ・ヘルキャット」などの異名で呼ばれ、地域ごとの“看板レスラー”として名を馳せていた。実際にリングに上がった男性たちの証言も残されている。「投げられた瞬間、観客の歓声と笑い声が耳を突いた」「女にやられた屈辱より、起き上がれなかった恥のほうが強かった」など、肉体的な痛みよりも、社会的・男性的な“自尊心の崩壊”を語るものが多い。
この種の格闘ショーは、単なる珍しさではなく、社会的文脈を背負っていた。なぜなら当時のアメリカでは、女性の労働・戦争参加が始まりつつあるなかで、「男に勝る女」という構図が、潜在的な不安や興奮を刺激したからである。社会が大きく変わる予兆のなかで、「強い女」が笑いものか英雄か、あるいは性的対象か、真剣に議論されたこともあったという。だがリングの上では、それらの価値判断を超えて、ただ「勝った女」と「負けた男」がいた。
もちろん、全員が真剣勝負だったわけではない。中にはショー的な要素を強めた「演出格闘」もあったとされる。女性がわざと水着姿で闘い、敗れた男を跨いで勝ち誇る、といった演出が観客を沸かせた。だがその一方で、現実に力でねじ伏せられ、立ち上がれなかった男がいたのも事実。カーニバルとは、そうした真実と演技が紙一重で成り立つ舞台だった。
今日において、こうしたイベントは歴史のなかに消え去り、あまり語られることはない。だが、1930年代の新聞広告や写真、オーラルヒストリー資料には確かに記録が残っている。たとえば「カーニバル・フェミニズム研究」(By Rachel Shteir, 2002)では、当時の女性レスラーの社会的役割について言及されており、「男性の欲望と恐怖を具現化した存在だった」と記されている。
こうした“ミックスファイトの原風景”とも言えるこの時代。
そこには、「女は弱い」という常識を、笑いと興奮のなかで粉砕してみせた、たしかなリアルが存在していた。
【出典・参考資料】
『Step Right Up: The World of Carnivals』 by Brooks McNamara(1975)
『Carnival Feminism』 by Rachel Shteir(The Drama Review, 2002)
『Women in Combat Sports: Historical Perspectives』(Ed. by Jenkins & Wallen, 2011)
アメリカ民俗映像アーカイブ “Carnival Wrestling Booth Footage” (circa 1947, Ohio州)
図版資料:「女レスラーが男性観客を投げるシーン」Museum of American Folk Entertainment(画像アーカイブ)