

近代以前の社会構造において、女性が主導する構図は一般的なものではなかった。政治、軍事、経済、宗教、娯楽といった社会の主要領域は、基本的に男性を中心に構成されていた。闘争や競争は男性の活動と結びつき、力の比較は男性同士の間で行われるものと理解されていた。
この前提は、単なる慣習ではなく、社会秩序の根幹として機能していた。権力とは男性が担うものであり、統治や指導、支配といった概念は男性的役割として体系化されていたのである。
女性が社会に存在しなかったわけではない。しかし、その存在は主として家庭、育児、装飾、美徳といった領域に位置づけられていた。そこでは女性は重要な役割を担うが、それは競争的、対抗的な構図とは切り離されていた。
近代の男性主導文化において、女性はしばしば「観られる存在」として位置づけられた。芸術、文学、娯楽の分野では、女性は美の象徴、理想像、欲望の対象として描かれることが多かった。
しかしそこに、力の主体としての女性像はほとんど見られない。女性が他者を制圧する、勝利する、支配するという構図は、社会的な常態ではなかった。仮にそうした描写が存在しても、それは寓話的、象徴的、あるいは例外的な扱いであった。
重要なのは、女性が力を持ち得なかったということではない。問題は、その力が社会構造の中で前提化されていなかったことである。女性が主導するという発想は、共有された社会常識ではなかった。
闘争や競技は、長らく男性の専有領域とみなされてきた。軍事訓練、格闘技、競技スポーツは男性の身体能力を前提として制度化され、女性はそこから排除されることが多かった。
この排除は単なる差別ではなく、構造的な分業の一部であった。身体的対抗を伴う活動は男性の役割とされ、女性の身体は保護されるべき存在として扱われた。ここでは女性が主導する構図は想定されない。
したがって、女性が闘うという発想自体が、社会的には異例のものであった。女性が力の比較対象となることは、制度上も文化上も限定的であった。
古代神話や伝承の中には、強い女性像が存在する。戦う女神や女性戦士は物語の中で描かれてきた。しかしそれらは象徴的存在であり、現実の社会秩序を反映したものではなかった。
象徴としての強い女性と、現実社会における女性の地位には断絶がある。神話的存在は例外として許容されるが、それが社会構造の前提になることはなかった。
この断絶こそが、女性主導構図が成立しにくかった理由の一つである。強い女性は想像の中には存在しても、社会制度の中には組み込まれていなかった。
近代におけるフェチ構造もまた、男性主導文化を前提としていた。女性は欲望の対象として描かれ、身体の部分や装飾が強調される。しかしそこでも、女性が支配する主体として位置づけられることは稀であった。
フェチは対象化の延長線上にあり、主導権は観る側にある。ここでは女性は主体ではなく、意味を与えられる存在である。この構造が支配的であった限り、女性主導という発想は周縁的であった。
以上を踏まえると、近代以前の社会において、女性主導構図は一般的なものではなかったといえる。女性が社会の重要な役割を担っていたことと、力関係の主導権を持っていたことは同義ではない。
女性が主導する構図は、歴史的に自然発生したものではない。それは、特定の社会条件と文化的変化が重なった結果として、後に成立する構造である。
本章で確認したのは、その出発点である。女性主導という構図は、近代社会の前提ではなかった。この前提が崩れるとき、はじめて新しい構造が生まれることになる。